2013年6月24日月曜日

おい、寝るな! 寝ると死ぬぞー!

和菓子も作っちゃいないのに、めちゃくちゃあわただしくて、忙しい週末が約30分前に終りました。

ひゃー。

まず、木曜日の夜に和菓子の材料の卸の買い物のリストをチェックしていたら明け方になり、3時ごろからひっそりとクッキーを焼き始める。

娘の学校の夏フェアがあり、その店に出すケーキの無料提供を各保護者は促される。いきなり学校から、安っぽい紙皿に「金曜日の朝にフェア用のケーキを小ホールに持ってきてください」と印刷されたシールが貼られた物を、持って帰ってくるのである。

いつもは、カップケーキにいろいろデコレーションしたのを持って行かせるけれど、今回は趣向を代えて、型抜きクッキーにすることに。

と、言うのが、イギリスの子供達に抹茶味を味見させたかったから。

結果、徹夜して以下のようなものが・・・
袋に5枚ずつ入れて、口を縛って可愛く。
フェアの当日は土砂降りなので、クッキーが子供達の
口へ入ったのかはしらない・・・汗


で、朝になり、子供とクッキーを学校へ送り、私は予約を入れていた友人のヘアードレッサーの学校へ。

彼女のヘアードレッサーのエクステンションのテストのモデルになってくれと頼まれていた。この際だからと、いつもと違う髪型にしてねーと、以下のような色に。
です!
かわいいでそ?

けれど、髪の毛を触ってもらうって、気持ちがいいねー。完徹の影響もあり、もう、やってもらっている間、終始うとうと。頭を極力動かさないように、けれど、完璧に記憶がない部分が・・・

ま、それも終わり、帰宅後、土曜日のクロイドン学校の宿題を終えながら、眠気に終始襲われる。やばいなー。しかも、髪をキレイにしてもらったついでに顔もきれいにしようと、新しいファンデを塗ったら、やっぱり・・・
アレルギー反応。

顔中腫れるわ、痒いわで、抗ヒスタミン剤を飲む。また、それも眠気をもよおして・・・立っていられないぐらい眠い。

で、仕方ナシに、晩飯もほどほどにかなり早くにねむる。

翌日は、日本語補習校の運動会!
土砂降りの中、先生達に「小雨、小雨」と、騙されながら用意し、晴れ間が出てきたら、競技のお世話に走り回り、保護者の綱引きに強制参加させられた数時間。アドレナリン大放出で、運動会の終了後、疲れが・・・

旦那に車を運転してもらう間、爆睡。

ブライトンの日本語クラブでは会議。これも眠気を・・・

そして、ブライトンから我が家に着くまでに、爆睡。

晩ごはんは手抜きで店屋物・・・

食べて爆睡と思いきや、友人宅で飲み会に誘われていたので、半分寝ながら参加。

そして、朝2時に帰宅後、即爆睡。

そして、日曜日もブログ執筆中に寝落ち、料理中に寝落ち、洗濯中に寝落ち、風呂に入って溺れながら寝落ち。

で、現在に至る。

なので、今日は子供の学校に備え、忙しい和菓子の用意に備え、寝ます。
いやぁ、結構危険な週末でした。

お休み。

ぐぅ。

2013年6月20日木曜日

今週土曜日はお休みします

今週の土曜日は予定はしていたのですが、諸所の都合でちょっと和菓子の配達を見合わせたいと思います。
すでに、注文をされた方はご存知だとは思いますが・・・ 
<(__)>

まず、子供の日本語学校補習校の運動会のお手伝いで、朝8時過ぎには到着しなくてはならないとお達しが来まして・・・じゃ、家は7時までに出なくてはならないという事で、あまりにも時間に余裕がないこと。

あと、運動会の間中もほぼ付きっ切りでお世話という事になりますので、お引渡しの時間がほぼないに等しいこと。

昼からのブライトンでは、ずっと会議にかかりきりになる事とが予想されます。
なので、いつもの時間でのお引渡しが不可能であるということ。

以上の理由で、大変申し訳ないですが、今週土曜日の配達をキャンセルします。

大変ご迷惑おかけします。

来週はいつも通り、クロイドン日本語補習校、そしてブライトン&ホーブ日本語クラブにてお引渡しをします。

大福各種
いちご大福
くず入りわらび餅
三色団子
水無月(抹茶味の外郎です。6月30日に先駆けて・・・)

水無月です。
いい写真がなくて、すみません。
試作品の写真しかなくって・・・
もう少し上手になっているはず・・・汗


等、お持ちしますので、ご注文お待ちしています。
なるべく木曜日(27日)夜までにご注文をこちらまで御願いします。

では、皆様、よい週末を~!


2013年6月19日水曜日

ペルシャ国の旅行の勧め~その8~

ヤズド(発音はほぼ「ヤズ」)はイスファハンからバスでまた6時間高速を東に行く、二つの砂漠の入り口にぽつんとある都市です。



道中の景色は、テヘラン‐イスファハンの行程よりもまっ平らで、昼の3時に出発し、いつまで経っても弱まる事のない夕日に後押しされながら、暗くなったころにやっとヤズドのコーチ・ステーションに到着。

(途中娘が行程半ばにトイレに行きたいと、無理やりバスを停めたことは省略させていただきます。)

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三年前の里帰りの際に義理の両親が私を連れてきたかった場所。
イランの伝統のお菓子で有名な場所。
ペルシャ人の始まりであった、ゾロアスター教が今も残る場所。
砂漠に住む昔の人々の知恵が集結した場所。

この旅行はペルシャの人々を知るにはなくてはならなかった旅だったと、ひしひしと感じました。

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さて、コーチ・ステーションからタクシーを使ってホテルに行く事になっているのだが、まず、タクシー乗り場がわからない。とにかく、見るからに外国人の私たちが英語を話し始めると、西洋人レートでタクシー代を引き上げられるので、英語は話さないよう、子供達と私に釘を刺す旦那。

ウロウロしたあげく、流しのタクシー(?)の運ちゃんから声をかけられた。

流しは信頼できん、と、義父はすっぱり断る。おお、かっちょえ~。
が、その運ちゃんが歩いて車に戻るところを見ていたら、なんだかタクシーが沢山停まっている。

あ、あそこがタクシー乗り場なのねー。

と、その運ちゃんの後を付いて行く事に。(喋るなといわれているので、突っ込みたいところをかなり堪える。)

義父が運ちゃん達と交渉している間に、子供達に「何か言いたかったら、日本語でいいなさい。」と、念を押す。もう、いつもぎゃーぎゃーうるさい子供達の静かな事。笑

遠めで見ていると、義父のタクシーの交渉はかなり難しそうである。神妙な顔で、そのあたりのタクシーの運ちゃんに尋ねまわっているが、いい返事がもらえないらしい。

旦那に尋ねると、「タクシーの運ちゃんが誰も行き先のホテルを知らへんらしい。」

どうやら、「オールドタウンにあるモシール(Moshir)ガーデンというホテルへ連れってって」とだけで、連れて行けといっているらしい。

「え?住所は?予約票の伝票に住所書いてあるんとちゃううん?」

慌てて義母の持つ伝票を調べてみるが、住所らしいものは書いていない。

何とか、タクシーの運ちゃん達が何処かから連れてきたもう一人の運ちゃんが「私が知っている。連れて行くよ」と、はるばるやってきてくれた。このあたり、イラン人は仲間意識(タクシー運ちゃん同士のね)が強くて親切なのだ。

はるばるやってきてくれたので、はるばるタクシーに歩いていかなければならないわけで・・・家族6人(そのうち2人の子供は就寝時間を過ぎていて、ヘロヘロである)でスーツケースをゴロゴロと歩く事10分。もう、疲れ果てて、普通の小型タクシーに6人詰め込まれることに文句も言ってられません。

新年のお祝い期間明け早々のヤズドの町には、まだまだ華やかな電飾が残っていたりで、なんとも美しい。しかし、ひざの上で眠る子供の重さでしびれはじめる足をどうするかと、考えながらこれからの三泊四日旅の不安を隠しきれない私であった。

つづく。

2013年6月17日月曜日

父の日でした。

昨日は父の日でした。

いろんな場所で、今日はお父さんのためにディナーを作ったとか、こんなプレゼントもらったとか、読ませてもらいました。いい父の日を皆様お過ごしのようで、なにより、なにより…

え?うちの父の日はどうだったか?

はははははっ

まず、娘がウイルス性胃腸炎にかかり、その娘の看病をしていた旦那が父の日当日から不調を訴え始め、私はPMSで頭痛腹痛腰痛で最高に機嫌が悪く、一人元気のいい息子は一日中暇だ〜暇だ〜と家をウロウロ。

あまりの暇さに、信じられないことが息子に起こった!

自分の部屋を自主的に片付け始めたのだ。目を疑ったが、口には出さなかったよ。危ない危ない。とりあえず、褒めちぎっておきました♪ w

しいていえば、それが息子からの父の日のプレゼントだったのか?母の日もそれで行ってよ。

昨日回復したかと思った娘の具合がまた悪くなった。お腹がいたいらしく、お腹を摩ってくれという。手を止めると、怒るので、ズーーーーーっとお腹をさすりっぱなし。途中しんど過ぎて、寝落ちすることもしばしば。その度に「マミー!」と怒られる。

そのため、朝ごはんも昼ごはんもロクに作ることが出来ず、夕飯に肉じゃがのリクエストをもらっていたので、旦那と娘の看病を代わってもらってやっと手抜きの肉じゃがができただけ。

旦那よ、すまない。
来週リベンジで父の日リターンをするからね!

子供達が日本語の学校で作った父の日のカード。可愛いでしょ?
うちの旦那、長い間ネクタイ締めているの、見てないなぁ。

2013年6月15日土曜日

父の日、忘れちゃダメですよ。

さて、今週日曜日は父の日です。

確か、日本も第三日曜日は父の日ですよね。

と、いうのが、イギリスでは母の日が日本とは違い、3月になるのです。なので、イギリスに住む日本人のお母さんは、3月始めごろに「もうすぐ母の日ね~」とつぶやいて、5月はじめに「もうすぐ母の日なのよね~」と、つぶやく。あ、子供の前でちょっと大きめにつぶやいてください。すると、カードとプレゼントが一年に2回もらえるのです。

そうそう、日本の幼稚園などでは、父の日というのは結構忘れられたりしませんか?娘が通っていた日本語の保育園、母の日のカードはよく作ってきたのに、なぜか父の日のカードが…ペルシャ系イギリス人の旦那は、日本語の保育園には文句が言えないので、子供が通う現地のイギリスの学校に一筆書いた。

学校で父の日は教えないのか?と。

そして、校長先生から直々に返事が来ました。

学校に通う子供達には、いろいろな家庭環境で育つ子供がおり、母や父が必ずとも身近にいるとは限らないことがある。そのことを考慮にいれ、学校では父の日も母の日も学校行事の中には組み込まない。と。

うーん。なるほどと言えば、なるほど、ということなのだけど…

そして、うちの旦那はその返事を読みながら、

「学校で親や大人に対する敬意を表すことを教えないのか?だから、子供達が勝手なことばかりするんや!」と、怒り始めた。いやはや…

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なんだかんだ言っても、お父さんたち、やっぱり祝って欲しいみたいなので、労いの言葉とプレゼント、忘れずに。

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今週末、大きめのいちごが手に入ったので、いつもの1.5倍の大きさの…

父ちゃんありがとう苺大福

を作ります。ま、家の中の誰が食べても、父ちゃんありがとう、ってことで。
数に限りがあるので、なくなり次第終わります。

で、お値段は一個£1.50です。

これで日頃の苦虫を噛み潰したような顔も、ほっこり幸せ顏になるはず…
効果なくても、責任もてませんが…

では、皆様良い父の日をお過ごし下さい。

2013年6月12日水曜日

ペルシャ国の旅行の勧め〜その7〜


ヤズに行く前日は、シズダベダル

これは13日目という意味で、イランのお正月の最終日です。どうも、この日が一番祭日のような気がするのだが、店が閉まる。イギリスのクリスマスのように。

なので、ほとんどの人たちは公園なり、親戚の家で一日中食っちゃ寝をしながら、おしゃべりです。でも、テヘランにたくさん親戚のいる旦那の両親はイスファハンには誰もおらず、義理の兄嫁の両親の会食に招待されたのでした。

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さて、ここでもイラン人の豆知識
イラン人の「親戚」という言葉はとても幅が広く、家族の一員の誰かが結婚したら、その家族はすでに「親戚」となります。例えば、兄嫁の両親は親戚だし、兄嫁のいとこの嫁だって、その会食で話す限り、すでに私の親戚らしい。

なので、世界中から、「あなた、私の親戚かも…」と言われることも多々。それで知らない人から声をかけられることもあれば、本当に家族の系図の何処かで繋がっている人を見つけたこともある。で、彼の奥さんも日本人だったから、びっくりなんて…あー、彼女もこのブログを読んでくれているのかな、世界の何処かで。

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これは、テヘランのデパートの入り口に飾ってあったものです。

で、シズダベダルの話に戻るけど、新年の期間、頭文字が「S」で始まるめでたいものを7つテーブルや飾り棚に祭る。ニンニクだったり、コインだったり、ケバブのご飯にかける酸っぱいふりかけのソマフだったり。そして、大抵は大麦なんだけど、種を浅いボウルで発芽させて青々と茂らせたものも祭ります。はイラン語でサブジ。で、お野菜など青いものはサブズと呼ばれて、これも「S」のつくものです。

その新年のお祝いの最後の日に、サブズを水辺に放つのがしきたりなのです。

が、その6で触れましたが、イスファハンの人達の生活の一部のザヤンデルードが例年は新年の間だけでも水を解放するのに、今年は干上がったまま。人の困惑がありありと感じられました。

干上がった川にそのまま放り込む人もいれば、スプリンクラーが飛沫を上げる公園の芝生の片隅において行く人。義理の兄嫁の両親の実家はイスファハンの郊外にあるのだけれど、その道中の高速で道端に落ちるサブズをたくさん目撃した。

そして、隣を走る車を見て、びっくり。

車のボンネットに茂る緑を載せて、高速でバンバン走っているのだ。サブズが落ちたらそれっきり。

なんか、アバウトで新鮮だった。日本人の感覚だと、とりあえず、ありがたいものは神社なりに持っていって燃やしてもらうとか・・・もう、笑うしかなかったよ。

そんなわけで、義理の兄嫁の両親の実家に到着。めちゃくちゃ広い庭で、いろんな植物が植えられていた。その中にはアーモンドや杉の木があるわけで・・・花粉症がひどい我が家系の男ども(義兄含む)はくしゃみに鼻と目から水が出っぱなし。

いざというときの息子用の抗ヒスタミン剤を3人に飲ませ、何とか宴はたけなわ。このときの会食はそれぞれの家庭から一品持ち寄り+手作りのケバブ各種。

キッチンの横の無用な空間の奥に・・・いやぁ、ありました、マイ・タンド~リ。いや、インドじゃないから、オーブンをタンドリとはいわないのか。正式名称がわからんが、ケバブ専用のオーブンが鎮座していらっしゃいました。

一品もちよりのなかには、キャラムポロ(キャベツとラム肉の炊き込みご飯)や、ラムシャンクの煮込み、サラダオリビエ(ロシアンポテトサラダ)などなど、めちゃくちゃたくさんありました。どれもおいしかったー。

腹ごなしに子供たちとドッジボールをはじめ、へろへろになったころ、私よりももしかしてはねっかえりなんじゃないかと思う、妊娠6ヶ月の兄嫁(同い年です。汗)が「よっしゃ、こーい!」と、コートに入ってきた。おなかにもう一個ボール抱えとるやん!
と、突っ込むまもなく、義理の兄嫁のいとこたちにより、

はい、退場~!www

そして、そのあと、アイスクリームやフルーツ、持込みのパイのお菓子にスナック菓子、チョコレートなどなど、食べるものも食べつくして、また、サブズの点々と落ちる高速を戻るのでした。

イランの新年は親戚みんなで食べて始まり、食べて終わるのです。あれ?日本と同じか。

次、ヤズへ話は続きます。

    2013年6月9日日曜日

    こりゃ、失敗、失敗。

    さて、今月の和菓子の「本くず入りわらび餅」ですが、いやぁ、失敗しました。

    どうも、分量を間違えたようで、固まらなかったのですよ。
    この土曜日に予約を入れてくださった方、すみませんでした。

    で、明日子供達が学校へ行ってから、もう一度おさらいして、何が失敗点だったのかを研究。
    え?研究するほどでもないって?

    あと、そろそろ来月の大きなセールの為に、在庫の点検もしておかなければ。
    なんだか、ぼーーーっとしているうちに、とんでもなく忙しくなっちゃいました。

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    私のいつも頼んでいるオルガニック野菜の農家の方(なまやさいさん)から、桜の葉っぱが摘める大きさになったよ!と、教えてくれたので、今年は300枚ほどいただきました。

    これから、あく抜きして、塩漬けして、3週間後には出来上がります。

    普段、アクトンの方面には季節ごとの和菓子を販売させてもらっていないので、桜餅を逃した方々に少しですが、桜餅も夏祭りで販売させてもらいます。楽しみにしていてくださいね。

    *********************

    そして、金曜日の夜に旦那が初めての1週間ビジネス旅行から帰ってきました。

    帰ってくる寸前に、息子は気が抜けたのか、無茶苦茶ワガママを言い始め、「お父さんがいたらいいのに・・・」とか、言い出す。「もう、〇時間で帰ってくるねんから。」と、諭すが、ぶーたれて、自分のベッドでふて寝をしだす。

    娘は朝から興奮冷めやらずで、準備に余念がない。

    ちょっと雑だけど、一生懸命作ってました。w

    まぁ、単純な彼女の扱いは本当に簡単。一緒に*キャーキャー言っておけば、彼女ははっぴー。

    で、7時30分に旦那がドアを開けた頃は、息子はガチで寝ており、娘も私も*キャーキャー言いっぱなしで疲れて放心状態。

    「だ、誰もいないのかぁ~?」

    可愛そうな旦那の帰宅第一声がこれでした。ははは。
    ま、お帰りのとんかつで労ったのだから、良しとしてねん。

    で、また今日の5時半の便でドイツに旅立つ為、また彼はとっとと出て行きました。
    上のお帰りのサインは、来週まで置いておくことにしましょう。

    ペルシャ国の旅行の勧め~その6~

    バス・ステーションに降り立つと、ものすごい重たい空気。かなりの空気の悪さ。スモッグ覚悟で滞在したテヘランはさほどでなく、年末年始の期間ゆえの人口密度、車密度の低下で、空気の悪さから逃れてきたけど、どうもここでやられたらしい。

    そして、ショックなことが発覚。

    エスファハンの人達の憩いの場所とも言えるザヤンデルードの川の水が完全に干上がってしまっていた! 

    ああ、失態。写真を撮り忘れてる。とりあえず、インターネットで同時期に撮られた写真を見つけたので、拝借します。えーっと、メールで前もって了承を得ようとしたのですが、メールアドレスが見つかりませんでした。なので、ここにリンクを貼っておきますので、写真の持ち主の方、連絡お待ちしています。汗

    事情を聞くと、ここ3年ほどほとんど雨が降っておらず、エスファハンの水源であるチャデゴンダム(前回のいらん滞在記参照)の水がそこをつきそうだった。で、年末に偵察にきた大統領のアフマディーネジャード氏は、
    「街の景観よりも、近くで発達しつつある工業に水を使わせるべき」
    と、毎年一応は新年の畑作が始まる頃に下流の農家達に水を供給することも兼ねて、数週間川へダムの水を放水していたものまでが完全に閉じられてしまった。 

    すると、川の底に堆積していたいろんな物質が乾いたホコリとなり、空気中に舞い上がる。で、空気もただでさえ乾いているもんだから、鼻の粘膜が傷つき、そこにばい菌が入り込んだ模様。その上、気圧の変化で炎症を起こした鼻腔が詰まり、頭がガンガしてきた。 

    そこに住む人はあまり気にしていないようだが、敏感に反応してしまう私の鼻腔。生まれも育ちも海のそば、今だって海から歩いて20分足らずの海岸沿いに住んでいるもんだから、常に海抜0m付近で暮らしていることになる。それが海抜1600mのイスファハン、気圧が低い。しかも、空気は比べ物にならないぐらい乾燥しているのだから、私の呼吸器系統が悲鳴をあげたのだ。それほど息自体は苦しいと思わなかったのだが、眩暈がして、ぼーっとした頭はずっと半分寝た状態。もしかして…と、ググるとやっぱり高山病の症状。 

    だいたい個人差はれど、2000m以上で出る高山病なのに…ま、1500mでもかかる人はいるらしいけど。で、対処法は…「安静にする。よくならなければ、下山する。」 
    げ、下山の仕様がないのですが…汗。 

    2日間横にならせてもらったけど、よくならず、鼻から血の混ざった膿が出てきたので(きたなくてごめん)、お抱え医師の義父に抗生物質を処方してもらう。とりあえず、鼻腔の中の炎症をどうにかせねば… 

    とりあえず、頭痛を抱えたまま子供の面倒を見たり、会食はしなくちゃならないわけで…食っちゃ寝、外出は車で送り迎えと言うとんでもないおデブな生活が続いた。ダイエットには自炊の大切さが痛いほどわかりました。 

    さて、新しい物好きの義兄夫婦がエスファハンで今回連れて行ってくれた場所は、その名も

    *ハイパースター*

    今までイランになかったスーパーショッピングモールをドバイの富豪とイランの富豪が半々に出資して、ドバイにあるような屋内一体型のレジャーエリアを作り始めたのだ。 
    今はまだスーパーマーケットの部分しか運営されていなかったけれど、イランの人たちにとって、全く新しい買い物の形なのです。 

    いわゆる日本の昭和の時代に大型小売業者が街のハズレにでっかいスーパーを建てて、車できたお客さんはパン一斤から、パジャマや洗濯洗剤にフラットテレビまで一つのキャッシャーで支払うことができる店が始まったのと同じ。 

    私もここの買い物はリラックスできた。だって、街の小売業者では私は自由に買い物をさせてくれないのです。値段のきちんと書かれていないものだと、私が店にいくと外国人=金持ちということで、余計に値段をふっかけられる場合があるのです。だから、店の中に入ると、私はだんまりだったり、旦那に買いにいかせて、私は他人のふりとか。皆が皆というわけではないけれど、そういう人もたまにいるので、気が抜けない。 

    だから、お客を分け隔てなくサービスできるこんなスーパーなら、大歓迎である。ただし、ここでまた、日本の昭和時代に似たいい部分が消えてなくなってしまいそうで、悲しくなるのです。店員と一言もしゃべらずに買い物をするって、やっぱりさみしい。 

    そして、もう一箇所、義兄夫婦が連れて行ってくれたのは、アルメニア人が古くっから住んでいるジョルファと呼ばれる地域。ここは少ない異教徒(キリスト教徒)が許可された場所。 

    ここは西洋からの文化も続いているので、結構親しみ深いものも売っている。で、義兄の奥さんがあるケーキ屋さんに連れて行ってくれた。はっきり言って、イランのデコレーションケーキはすごいです。って、お茶の発達した国のお茶受けというのは、かなり高度です。 

    イランの伝統的なお菓子から、西洋風のケーキ、などなど。以前フランスに支配されていたので、洋菓子は主にフランス系の洋菓子が多い。ただし、空気が乾いている関係、パイ菓子が中心で砂糖とローズウォーターを煮詰めた蜜やクリームがしっかり塗られている。スポンジケーキを皿に載せてそのままにしておくと、30分ほどでカラカラになってしまうから。 

     

     



    そこのお菓子屋さんで食べたのが、ジョルファでイースターに食べられる卵とミルクがたくさん入ったその名もミルクパン。手のひらサイズの平たい長方形で、日本のミルクパンよりかなり密度が高く、硬い。でも、素朴で美味しい。そして、ローズウォーターのきいたカップケーキに、カスタードではなく、フレッシュクリームの入ったシュー菓子。砂糖をまぶしたコッペパンの間に挟まったポンジキというお菓子は、ローズウォーターの入ったちょっと固めのわらび餅という感じ。それで、イランの人は和菓子にあまり抵抗がないのか、と納得。餡子をピスタチオやアーモンドなどの甘いナッツのペーストに置き換えて、こういうものに包めば、食感としてほぼ大福だわ。 

    ミルクパン半ダース、シュークリーム10個、ポンジキ半ダース、を購入。こうしていねのイラン食べ物紀行で贅肉を順調に蓄えるのでした。 

    これも、取材・・・お仕事、お仕事♪

    つづく。 

    2013年6月6日木曜日

    6月の和菓子

    いやぁ、6月にはいってから、毎日天気がいいですねぇ。
    なぜか、学校の休暇の直後で天気がいいというのが、いつものことのような気が・・・

    旦那の職が変わり、のっけから一週間の海外出張で二人の子供と山のような宿題を残された今週。すでに毎日アップアップです。

    で、昨日は昨日で娘から・・・

    明日、運動会だから、見に来るよね!

    と、ふられる。

    え?運動会ですか?手紙もらいましたか?まったく記憶にないのですが・・・
    で、学校のホームページのカレンダーをチェックすると、まさに6月5日に運動会の文字が・・・。

    ここで、私の頭の中で怖い想像が・・・子供たちが学校に行ってる間に片付けようと思っていた用事がまったくの手付かずになってしまう。

    がーん、がーん、がーん・・・



    なーのーでー


    6月の和菓子のお品書きが遅れてしまっています。
    大変申し訳ありません。
    苦情などは、とっととアメリカに単身いってしまったうちの旦那と、手紙を渡されてから忘れるころに半日かかる学校行事をいれてくださった娘の学校へよろしくお願いします。

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    お品書き
    イチゴ大福(一個)£1.25
    くず入りわらびもち(一個)£1.30
    三色団子(一本)£1.25
    こし又はつぶ大福(各)£1.00

    ****************

    配達場所 
    6月8日(土)クロイドン日本語補修校(10時から12時半)
          ぶらいとん&ほーぶ日本語クラブ(会議に出るので4時より引渡し)
    6月15日(土)予定 クロイドン日本語補修校(10時から12時半)
             ぶらいとん&ほーぶ日本語クラブ(2時から4時半)
    6月22日(土)予定 クロイドン日本語補修校(当日は運動会なので12時半からの引渡し)
             ぶらいとん&ほーぶ日本語クラブ(2時から4時半)

    また、何かイベントかマーケット出店が決まりましたら、即こちらのブログでお知らせします。

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    今月からWimbledon方面への出店を考えていたのですが、旦那の出張のため延期されました。なるべく早く、イチゴ大福やってる間にWimbledon方面へ行きますので、待っててくださーい。ぺこぺこ。

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    とりあえず、運動会前のかなり強い日差しの学校校庭と娘の快挙の写真を貼っておきます。
    むすめ、母に似ずかけっこが得意らしい。賞を二つももらってた。



    母に似なくてよかったねー。

    2013年6月5日水曜日

    ペルシャ国の旅行の勧め ~その5~

    かなり滞ってます。すみません。
    では、再開します。
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    そして、テヘラン最終日。(やった~)

    これまた、お食事の御呼ばれです。今度は義父方の伯父さんのお宅です。伯父さんはあまり英語は話せないのだけど、奥さんのパリ伯母さんは英語が堪能。そのほか、彼女達の孫娘はみんな英語が話せる。 

    場所は、昔のテヘランの国際空港の近く。今はテヘランの南側、少し離れたところに10年ほど前に立てられた国際空港がある。 

    この国際空港、デザインもモダンです。まったく中東っぽいデザインが抜けてしまって、他の国際空港と似たり寄ったりのデザイン。前の空港が好きだったので、ちょっとがっかりなのですが。この空港については、後にもっと詳しく書きます。 

    ここでのメニューは、サフランライスに、スピリットピーのシチュー〔ホレシュ・エ・ゲイメ〕とニジマスのハーブ煮込みにフレッシュサラダ。そして、デザートにバニラとメロンのアイスクリームに三色ゼリー、チョコレートケーキ。 

    またもや、おなかがはちきれそうになるまで食べてしまう。 

    その後は、近所の商店街〔日本の昭和の市場風景を思い浮かべてもらうと、そんな感じかなぁ。〕へ腹ごなしに。義兄夫婦はもうすぐ生まれる赤ちゃんの買い物に余念がなく、何でもイイモノは借金をしてでも買うバブルな兄ちゃんは、「ここじゃ欲しいものが見つからん!」と、足を伸ばして高級デパートに行くことに。 

    私達はちょっとした日用品を購入した後、そそくさと帰路へ。翌日はエスファハンに向かうバスに乗らなくてはならないのだ。お土産を配った後、一つ荷物は減ったものの、家族4人の荷物をまとめなくてはならない。 

    で、ほぼ夜のうちにスーツケースを詰めてしまい、後はパジャマをスーツケースの外ポケットに入れ、翌日のバスの中で食べるサンドイッチを手荷物の中に入れるだけ、という状態にして就寝。 

    朝起きると、義母と義姉が台所の片づけをしていた。またテヘランのマンションは次に用事が出来るまで空き家となるので、食べ物など全てエスファハンへ持っていかなくてはならない。私の顔を見るやいなや、義母が「この果物、あなたの鞄にはいらない?」と、にっこり。手荷物はスーパーのジュートバックだったので、結構入る。果物だって入ってしまった。 

    そして、ポテチの大袋、4人分のサンドイッチ、サンドイッチ食材の残り物、等など。どんどん入ってしまった。でも、軽くはないんですけどね。 

    そして、タクシー2台でテヘラン中央にあるバスステーションへ。 

    タクシーです。これも書かずにいられない事の一つです。

    とにかく、イランでは、交通ルールがすごい

    驚きを超えて、笑っちゃうしかない。

    特にタクシーの運ちゃんの運転は凄いものがある。何でもありなのよ。イランでは、近代文明が発達した頃にイギリスの介入が沢山あったのか、イギリスからの影響がそこここに見られる。ラウンドアバウトもその一つ。結構ラウンドアバウトが使われています。 

    が、その使われ方がすごい。右側走行なので、左優先なのだけど、たまに自転車がラウンドアバウトを逆周りにやってくる。
    こえ~~~~~~。ラウンドアバウトでは、自転車は車でないので、ルールに従わなくても大丈夫なそうです。ほんまかいな? 

    あと、高速道路なんかのラウンドアバウトの入り口は三車線のはずなのに、車が4台隣り合わせに入るタイミングを計っています。にじりにじりと運転するのはお手の物。そして、信号の有る交差点では、一番内側の斜線で信号待ちをしていた車がいきなり右折するもんだから、クラクションはなりっぱなし、レブしっぱなしで、都会内は車の騒音でウルサイのなんの。でも、事故件数もさほど多くないし、他人が変な運転しても腹を立てる人もいない。どちらかというと、イランの人たちは、「あいつがあんな運転の仕方をするのだから、俺だっておんなじ運転をしてもええね。」と誰もが考えているので、なぜかうまく収まるのである。ただし、ルールはあって無きにしも非ずって感じですが。 

    あと、車の中の座り方。すごいです。ぺジョーの209とか小型の車が人気なんだけど、その小型車に9人は乗れてしまう奇跡です。ただし、子供4人を含む。一応、シートベルト着用は義務付けられていて、たまに検査もあったりするのですが、乗り方がそんななので、車の中のシートベルトがどのように使われているか、想像してください。ちなみに、タクシーに乗って、後部座席でシートベルトを閉めようとしたら、バックルの部分が見つからず、ずっと手でシートベルトを握っていたという落ち着かないことも多々。 

    ま、今回はスーツケースの数が多かったので、二台に別れて乗ったので、それほどでもなかったけど、トランクにスーツケースが収まらず、トランクのドアは開いたまま紐でくくられた状態。私の横にも埃まみれのスーツケースが鎮座しておりました。 

    バス停に着くと、タクシーの運ちゃん、どこで私たちを下ろせばいいのかわからず、ウロウロ。でも、親切なんですよね、ちゃんと乗るバスを見つけて、すぐそばで降ろしてくれました。 

    それからは、6時間かけてのバスの旅。テヘランの街を出ると、ただひたすら続く荒野の地平線。6時間というと、日本の夜行バスで東京ー大阪の距離でかなり移動したなぁと、思うのだけど、イランではイラン国の地図で二つ隣の県の県庁所在地に移動したような感じです。国自体が広くてデカイのだ。 

     こんな風景がほぼ6時間ずっと続きます。

    で、なぜ80歳の両親と小さな子供と一緒の旅でバスかというと、列車は便利でないし(と、いうか、列車の駅を見たことがないのですが…地下鉄は工事が進んでいるようですけど)、飛行機は安全ではない。なぜ安全でないかというと、海外との金銭の取引ができなくなったということは、海外からの買い物ができなくなったということで、古くなった飛行機を新調することもできなければ、壊れた部品を取り替えることもできない。だから、便利なのはバス。でも、私は結構このバスの旅が好きなのです。おそらく、バスの中でもファーストクラスなんだと思いますが、大型バスにたった30人。一列に3人しか座らないゆったりな席。冷たいミネラルウォーターは飲み放題だし(ただし、トイレ付きでないので、飲み過ぎには注意が必要)、サービスのフルーツジュースにケーキが3種いただけます。背もたれもリクライニングで足置きもほぼ座席に水平に上がってくる。飛行機より安いけど、豪華さが味わえます。 

    昼時(2時ごろから5時ごろ)だったので、高速道路脇に車を停めてゴザを広げてピクニックをしたり、昼寝をしている人たちを見るのも、いとおかし(興味深いってことです。とにかく、自分の生活習慣をいつでもどこでも崩さない人たちで、納得しちゃったのです)。しかし、バスがエスファハンに近づくに連れて、眉間からこめかみにかけてぢんぢん痛くなってきた。少し眠ったけれど、やっぱり痛い。痛みが最高潮に達した時に、エスファハンに到着した。 

    今度はイスファハンへつづきま~す。